

むかしむかし…と言っても、それほど昔ではありません。
あるところに、毎日をせわしなく駆け回るひとがいました。
朝は嵐のように始まり、昼は人の声に囲まれ、夜になるころには心がくたびれてしまいます。
そんな日々の中で、そのひとはふと立ち止まりました。
「そういえば、最後にぼーっとしたのは、いつだったかな…」 と。
心理学者で文化庁長官も務められた河合隼雄さんには、
兄弟と“何もしない時間を競い合った”という、ほほえましい話があります。
まるで森の小道で寄り道をするように、何も生み出さない時間を楽しんだというのです。
何もしないのに、大切な宝物を拾ったような気持ちになれる——そんな時間でした。
ある日、その忙しいひとも外へ出てみました。
風に揺れる木の影を眺めていると、胸の奥のざわめきがすっと消えていきました。
「ああ、こんな時間をずっと忘れていたんだ」 と気づいたのです。
何もしない時間は、心の中の湖をそっと見守るようなものです。
波立つ日々が続くと水は濁ってしまいますが、静けさの中に少し身を置くだけで、
沈んだものがゆっくり下に落ち、湖は澄みはじめます。
すると、底から小さな小石がそっと顔を出します。
どうか、少しの時間でもいいので、
森の中の湖をそっとのぞくようなひとときを作ってみてください。
動くことだけが前へ進むことではありません。
風の音に耳をすませ、ただそこにいるだけの時間が、
あなたを「あなた自身」へ連れ戻してくれるのです。
日本高速情報センター協同組合 代表理事 草野 崇