

インドに古い寓話があります。
象を一度も見たことがない数人の男たちが、
暗闇の中で初めて象に触れました。
足を触った男は「柱のようだ」と言い、
鼻を触った男は「蛇のようだ」と言い、
耳を触った男は「うちわのようだ」と言い、
牙を触った男は「槍のようだ」と言いました。
それぞれが自分の感じたものを「真実だ」と信じ、
激しく言い争いました。
そこへ通りかかった一人の賢者が、彼らにこう言いました。
「あなたたちは皆、正しいのです。
しかし、あなたたちは象の『一部分』しか触っていない。
全員が触れたものをすべて合わせれば象の本当の姿になるのです」
寓話として読めば「よくある話だな」と思いますが、
実際に改善されることは少ない。
私たちは物事を見たり聞いたり感じたりするとき、
目や耳や肌からそのまま頭や心に届くと思っています。
けれど、もし本当にそうなら、同じ出来事を経験した人は全員、
同じ解釈と同じ感情を持つはずです。しかし、そうならない。
感覚と解釈のあいだに「何か」があるのです。
それは、あなたが長い時間をかけてつくってきた「部屋」のようなもの。
その部屋には、育ってきた環境、経験した痛み、大切にしてきた価値観が、
家具のように置かれています。
同じ象に触れても、
あなたの部屋とわたしの部屋では、届く「感触」が違う。
誰もが嘘をついているわけではない。
それぞれが「自分の部屋」を通して、一生懸命に語っているだけなのです。
人と人との関わりは、
相手の「部屋」を完全に理解することではないのかもしれません。
ただ、「私とあなたの部屋は、
少し違うのかもしれない」と思えたとき、
話したいことの輪郭が、少しだけはっきりしてくる気がします。
その一歩が、争いを静かに解きほぐしていくのではないでしょうか。
草野 崇
日本高速情報センター協同組合 代表理事 | 心と思考の翻訳家
このコラムを書いている私の、少し長い散歩道の記録です。
のび太だった僕の散歩道 ― 続きはこちら