
ある森の湖畔、静かな水面を覗き込んだ熊がいました。
そこには、自分とそっくりな熊がこちらをじっと見返してきます。
熊は驚き、身構え、そして吠えました。
うなり声をあげ、爪を立て、水面に飛びかかります。
しかし、何度襲いかかっても、相手の姿は揺れるばかり。
水面は波立ち、やがて湖は濁り、
熊の姿も相手の姿も見えなくなってしまいました。
最後に残ったのは、割れた鏡のように乱れた湖面。
熊はそこに座り込み、途方に暮れるのです。
人もまた、似たような瞬間に出会うことがあります。
たとえば、満員電車で他人の態度に腹が立ったとき。
部下の発言に無性に苛立ったとき。
家族の何気ない一言に必要以上に反応してしまったとき。
ふと我を忘れるような怒りに駆られるとき、
そこには相手の問題だけでなく、
自分の中にある形のない何かが映し出されていることもあるのです。
私たちは他人の言動を通して、
知らず知らずのうちに自分の姿を見ているのかもしれません。
けれど、それが「自分自身」だと気づくのは簡単ではありません。
熊のように、目の前の“訪問者”に向かって牙をむき、
気がつけば鏡は割れ、何が本当だったのかわからなくなってしまう。
自分を知ることは、思っている以上に難しい。
けれど、自分の中に浮かんだ怒りや違和感に、
少し立ち止まって目を向けることができたなら。
そのとき初めて、静かな湖面のように、
ありのままの自分と向き合う一歩が始まるのかもしれません。
日本高速情報センター協同組合 代表理事 草野 崇
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