

高校生の頃、ブルーハーツをよく聴いていました。
1980年代半ばに登場したロックバンドで、飾らない言葉とまっすぐな歌声は、
当時の若者たちの心を強く揺さぶりました。私もその一人でした。
破れたジーンズを履き、髪をピンピンに立てて、大音量で音楽を聴いていると、
自分が「自分ではない何か」になれそうな気がしたのです。
今思えば、その「何か」とは、
ある朝、目を覚ますと突然すごい才能が開花しているような、
そんな奇跡だったのかもしれません。
けれど、歳を重ねるにつれて、
自分に対する評価は少しずつ現実的になっていきます。
ある日突然、別人のような自分になることはない。
今日の自分の続きに、明日の自分がいる。
今日、自分自身から逃げてしまえば、
明日は「逃げた自分」の続きから始まります。
そう考えると、私たちの希望は、
自分が積み重ねてきたものの先にしかないようにも思えます。
ところが、これまでの人生を振り返ると、不思議なことにも気づきます。
高校生だった私が、今の自分を想像できていたでしょうか。
仕事も、人との出会いも、今いる場所も、
あの頃思い描いていたものとはずいぶん違います。
それでも、突然ここへやって来たわけではありません。
あの日、あの人に会ったこと。
あの時、あちらではなくこちらを選んだこと。
何気なく発したひと言。
私たちは、そんな小さな交差点をいくつも通りながら、
自分の物語をつくっているのでしょう。
人生に奇跡があるとすれば、
突然別人になることではなく、小さな選択や偶然が重なり、
気がついたら想像もしなかった場所に立っていることなのかもしれません。
今では、破れたジーンズもピンピンに立てた髪も似合いません。
それでも、あの頃の私が夢見ていた「自分ではない何か」に、
私はちゃんとなっていました。
ただ、それもまた、ずっと続いてきた自分だったのです。
あなたは、自分の物語の続きを知っていますか?
草野 崇
日本高速情報センター協同組合 代表理事 | 言葉と経験の研究者
このコラムを書いている私の、少し長い散歩道の記録です。
のび太だった僕の散歩道 ― 続きはこちら
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